すべてに、丸をつけよ。
書けそうなので、書き留めておきます。
本当のところ、僕も演劇で食べていけたらとっても幸せだなと思うんです。
でも現実は、演劇じゃ食べていけるほどの才能もなく、趣味で書くのが精一杯です。
実は高校時代、演劇部に所属してはいましたが、台本が書けるとは思ってもみませんでした。国語はそれほど得意ではなく、物語が書けるとは思っていませんでした。
僕にとって書くきっかけとなったのは2つ。
1つは当時の部活の後輩たちです。当時僕は部長として、そして演出として考えていたのは部員、つまり後輩たちにとってより良い部活運営をすることと、お客さんの気持ちを演劇で動かしたいということ。目立ちたいという気持ちも少々。
演出として、部長として、果たすべきことを果たすために、精一杯考え、そして行き着いた先に物語の構成を読み解くことの面白さがありました。それまで国語の授業では理解できなかった、物語の奥深さを知り、いつしか自分も素敵な物語を書きたいと思ったのです。
この辺りは他の記事で書いてますので、割愛します。
2つ目ははせひろいちさんとの出逢いです。
僕がはせさんの作品に初めて触れたのは、高校2年生の3月で、『空の匂い』という青春劇でした。
僕はこの作品が大好きで、「こんな素敵な作品を書く人がいるのか!」と感動した覚えがあります。
それまで僕が読んだ台本はどこか小難しくて、とっつきにくいものばかりでした。恐らく読解力がその頃上がっていた、というのもあるとは思いますが。
初めて「この作品なら演出したい」と思いました。
そしてその後の戯曲執筆において構成の手本としたのは、この『空の匂い』でした。
「こう書けばいいよ」そう教えてくれているような綺麗な3幕構成になっています。
会社を途中で辞めて劇団を…!と思った時期もあったのですが、生憎、いや幸い?なことに、そんな仲間もおらず、自分自身も書くだけでどこか満足しているところもあり、今は趣味で書くのみとなっています。
せめて誰かに使っていただきたいと思って当サイトを立ち上げ、様々な高校様、専門学校様でも使っていただいております。
当面の目標は戯曲賞を受賞すること…と言いつつ、60分以上のものは最近書けていません。
書こうと思えば書けるはずなのに。
自分の中では実はどういう方向に進もう、というのは実は見えていたりして。
いつかは演劇・戯曲から離れなければなと思っていたりも。
自分の中では1つ決めていることがあります。
それは「決めつけて物事を見ないこと」です。
中学時代に読んだ山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』が好きで、その一節にこんな文章があります。
「ぼくは、ぼくなりの価値判断の基準を作って行かなくてはならない。忙しいのだ。何と言っても、、その基準に、世間一般の定義を持ち込むようなちゃちなことを、ぼくは、決してしたくないのだから。ぼくは、自分の心にこう言う。すべてに、丸をつけよ。とりあえずは、そこから始めるのだ。そこからやがて生まれて行く沢山のばつを、ぼくは、ゆっくりと選び取って行くのだ。」
少なくともここだけは揺るがないように。どれだけ年を重ねようとも、決して決めつけた見方はせず、つまり諦めて慢心することなく。
これからも進み続けられたらと思います。
またそれを戯曲を通して若い人たちに伝えていけたらと思います。
僕が好きな「演劇」にはそういう言葉にできないものを伝える力があると信じていますので。
ちょっぴり長い呟きでした。
ではでは。おやすみなさい。
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